おもしろきこともなき世をおもしろく。のブログの記事より。

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おうのは、高杉が死ぬと正妻でない為に家に残れず、下関に住んでもとの芸者に戻って奔放に暮らした。

しかし、高杉を信奉する井上馨や伊藤博文らはこれを高杉を汚すものだとして憤り、無理矢理おうのの髪を斬って出家させ、高杉の墓守として東行庵に住まわせた。

・・・というのはどうやら巷に喧伝する俗説か小説の創作のようです。

おもしろきこともなき世をおもしろく。のブログの記事より。

実際は高杉が遺言で、「私が死んだらお前は私の墓を守ってくれ。そうすれば私の友達はお前を見捨てるような事はしないだろう」
と言い残したので、その通りにしました。
芸者にもどれば高杉の部下や同士はおうのを援助せず見捨て、やがて年をとれば困窮してしまうだろうという高杉の考えのよるものです。
ちなみにおうのは右を向けといえばずっと右をむいているような、ちょっと足りない癒し系の女性だったようです。

しばらくは高杉が付けてくれた号の「梅処」を名乗って過ごしていましたが、明治四年に正式に出家して「梅処尼」となり東行庵庵主として、子どもに三味線や歌を教えながら高杉の墓を守って暮らしました。(明治42年没)
高杉の予言どおり、山県有朋は長州を去る際に住まいを梅処尼に与え、伊藤博文・井上馨や木戸孝允らも彼女を援助し続けたそうです

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このページは、freeplus_seoが2010年1月23日 17:06に書いたブログ記事です。

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